明治学院バッハアカデミー

 

                        オシュトリーガ版 アーメン・フーガ付き
                             モーツァルト/レクイエム

研究と実践(実践)をモットーとする樋口隆一と明治学院バッハアカデミーによるモーツァルトの「レクイエム」のCDの登場です。

昨年(2023年)9月に紀尾井ホールで行われた公演を収録したもので、1962年にヴォルフガング・プラートによって発見された、モーツァルト自筆の「アーメン・フーガ」を「ラクリモサ」の最後に用いるオシュトリーガ版(2022年)で演奏しています。

「弦楽のためのアダージョとフーガ」と「アヴェ・ヴェルム・コルプス」も収録しています。

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編纂者のオシュトリーガは「アーメン・フーガ」の採用を利用者の判断にまかせていますが、私たちは敢えてそれを歌っています。この追加が、《レクイエム》に新たな格調を与えると信ずるからにほかなりません。

ライナーノート 「モーツァルト最後の日々」 (樋口隆一)より

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 モーツァルト

レクイエム

ミヒャエル・オシュトリーガ版 2022

 弦楽のためのアダージョとフーガ

アヴェ・ヴェルム・コルプス

 

樋口隆一指揮

明治学院バッハ・アカデミー

古楽器使用

 

紀尾井ホール・ライヴ

202394日)

 

MF22321

定価3,300円(税抜 3,000円)

 発売予定日:2024410

4 580107 74115 1

                               創立20周年記念公演ライヴ! 
                        J.S.バッハ: ヨハネ受難曲(第Ⅳ稿1749年)

研究と実践(演奏)をモットーに掲げる樋口隆一と 明治学院バッハ・アカデミーによる 2度目の《ヨハネ受難曲》のCDの登場です。

《ヨハネ受難曲》には4種類の異稿が存在しますが、そのうち完全な形で復元可能なのは、第II稿と、第IV稿のみであり、1度目のCD20043月に明治学院のチャペルで行われ、第II稿が使用されています。

2回目となる今回のCDは、20223月に紀尾井ホールで行われた創立20周年記念公演を収録しており、第IV稿が使用されています。

バッハの受難曲の通奏低音は、基本的にオルガン、チェロ、ヴィオローネ(コントラバス)、ファゴットが使用されますが、この第Ⅳ稿ではさらにチェンバロ(12台)とコントラファゴットが用いられ、より豊かな響きがめざされているのがいくつかある特色のひとつです。

 

曲目解説                         樋口隆一

●福音史家が朗唱する聖句について

●自由詩の源泉

4種類の稿の存在と第II稿(1725年稿)の重要性

●《ヨハネ受難曲》の内容について

 

J.S.バッハ

ヨハネ受難曲(第Ⅳ稿1749)

 

樋口隆一(指揮)

明治学院バッハ・アカデミー合唱団・合奏団

(古楽器使用)

大島 博(テノール、福音史家

光野孝子(ソプラノ、アリア、門番の女

藤井雄介(テノール、アリア、下役、下僕

小森輝彦(バリトン、イエス

庄司祐美(メゾソプラノ、アリア

𡈽田悠平(バリトン、アリア、ペトロ、ピラト

桐山建志(コンサートマスター

 

録音: 2022328日 紀尾井ホール(ライヴ)

 

2CDMF22319/20

定価4,400円(税抜 4,000円)

 

発売日:2023620

4580107741137

 


 さカンタータ創作の頂点を目指す作品郡 
J.S.バッハ カンタータ傑作集Ⅱ (樋口隆一校訂 「新バッハ全集」1986)

 

  このCDに収められた曲のうち、冒頭のカンタータ第157番《祝福したまわずば、われ汝を離さず》BWV1571727年の作品だが、そのほかの3曲はそれぞれ1 7 3 0年代の作品であることに大きな意義がある。ライプツィヒ時代のバッハのカンタータ創作は、1729年に一段落し、1730年からはごくわずかの作品しか残っていない 。しかしそれらは、バッハのカンタータ創作のいわば集大成ともいえる傑作ぞろいだからである。特にカンタータ第97番《わがすべての行いで》BWV97 は自筆総譜に「1 7 3 4年」と作曲年代か書かれており、バッハが作曲した最 後の教会カンタータである可能性が大きく、バッハのカンタータ創作を考える上で意味深い作品である。

  最近の研究によると、バッハは1 7 3 0年頃からトマス学校の理事長 や校長から激しいパワハラを受け、毎週の礼拝のためにカンタータを作曲する機会を失った。だからこれらの作品は、なにか特別な機会のために作曲されたとも考えられる。演奏もとびきりに難しい曲ばかりだが、そこにはカンタータに対するバッハの特別な想いが凝縮しているのである(樋口隆一 ライナーノーツより)

 

J.S.バッハ

DISC 1

カンタータ《祝福したまわずば、われ汝を離さず》BWV157 

カンタータ《至高の善に賛美と栄光あれ》BWV117 

DISC 2

カンタータ《いまぞ、もろびと、神に感謝せよ》BWV192

カンタータ《わがすべての行いで》BWV97

 

光野孝子(ソプラノ

庄司祐美(メゾ・ソプラノ

大島博(テノール

𡈽田悠平(バリトン)

 

明治学院バッハ・アカデミー合唱団・合奏団(古楽器使用)

赤津眞言(コンサートマスター廣澤麻美(オルガン)

樋口隆一(指揮)

 

CDMF22317/8 (2CD)

発売日:2020年4月28日予定

録音:2019831日 紀尾井ホール(ライヴ)

4 580107 74098 7

 

 

 


 さらなる深みへ!
J.S.バッハ カンタータ傑作集(樋口隆一校訂)

 樋口隆一指揮 明治学院バッハ・アカデミー

   明治学院バッハ・アカデミーは、研究と実践(演奏)をモットーに掲げ、バッハ没後250年にあたる2000年に芸術監督樋口隆一を中心に創設されました。

 前作のベートーヴェン<ミサ・ソレムニス>に続く樋口隆一指揮明治学院バッハ・アカデミーによる新録音は、「J.S.バッハ カンタータ傑作集」です。

 バッハのカンタータは、『バッハ・カンタータ研究』(音楽之友社)、『バッハの風景』(小学館)、『バッハの人生とカンタータ』(春秋社)の著作があることでもわかるように樋口のバッハ研究領域の中核をなしていて、新バッハ全集の校訂をドイツ人以外で唯一任され、協会カンタータ最終巻の第34巻を担当しています。

 このCDには樋口が校訂した7曲中、有名な〈神の時は最善の時なり〉を含め、とりわけ思いのこもる3曲を収録しています。

 オーケストラは今回も古楽器を使用していて、チェンバロとオルガンには渡邉順生が参加しています。

 

 

       J.S.バッハ

   1. カンタータ〈神の時は最善の時なり〉BWV106

   2. カンタータ〈主よ、深き淵よりわれ汝を呼ぶ〉BWV131

   3. カンタータ〈神の御業はすべて善し〉BWV100

 

   光野孝子(ソプラノ)

   庄司祐美(メゾ・ソプラノ)

   大島博(テノール)

   土田悠平(バリトン)

 

   樋口隆一指揮

   明治学院バッハ・アカデミー

 

CD:MF22316 定価:2,800円+税

   発売日:2019年6月25日予定

  録音:2018年6月2日 紀尾井ホール(ライヴ)

   4 580107 740918    

  


 自然なベートーヴェン
ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス

 樋口隆一指揮 明治学院バッハ・アカデミー

 

 

ベートーヴェン

ミサ・ソレムニス ニ長調 Op.123       

エルンスト・ヘルトリヒ校訂 カールス原典版(2010)

樋口隆一指揮

明治学院バッハ・アカデミー合唱団・合奏団

鷲尾麻衣(ソプラノ)

寺谷千枝子(メゾ・ソプラノ)

ジョン・エルウィス(テノール)

 河野克典(バリトン)

 桐山建志(コンサートマスター/ソロ・ヴァイオリン)

CD:MF22315 定価:2,800円+税

   2018年6月20日発売予定

   録音:2017年10月9日サントリーホール(ライヴ) 4 580107 74084 0

 

使用楽譜 エルンスト・ヘルトリヒ校訂カールス原典版(2010年)について

ヘルトリヒ博士は『ベートーヴェン全集』 編集主幹。明治学院大学招聘教授として2006年には夫人とともに来日し、明治学院バッハ・アカデミー合唱団にも参加した。

古楽器オーケストラを使った今回の演奏は、当時のヘルトリヒ博士の提案である


 サントリーホール30周年記念公演ライブ
 自然なバッハ〜《マタイ受難曲》

 樋口隆一指揮 明治学院バッハ・アカデミー

 樋口隆一指揮明治学院バッハ・アカデミーによる《マタイ受難曲》2度目のライヴ録音です。

 明治学院バッハ・アカデミーは、研究と実践(演奏)をモットーに掲げ、バッハ没後250年にあたる2000年に芸術監督樋口隆一を中心に創設されました。

 2002年に演奏された初期稿(1727/1729)での日本初演のCDは、初期稿盤としては世界初のCD化として話題を呼びました。

 その後2008年と2016年に、後期稿 (1736年)による《マタイ受難曲》の再演が行われましたが、このCDは2016年3月20日のサントリーホール30周年記念特別公演でのライヴ盤(3枚組)です。 

 福音史家、テノールのジョン・エルウィス、イエス役のバスに河野克典を迎えるなどソリスト陣の充実ぶりと、明治学院バッハ・アカデミー合唱団・合奏団(古楽器使用)の近年の質的向上は特筆すべきものがあります。

 古楽研究の成果も踏まえつつ、《マタイ受難曲》に新たな境地を切り拓いており、なにより、数ある《マタイ受難曲》の中にあって、自然なバッハが滔々と流れています。

 


   自然なバッハ

   サントリーホール30周年記念特別公演

   バッハ

    マタイ受難曲(後期稿1736年)

         明治学院バッハ・アカデミー合唱団・合奏団

         樋口隆一(指揮)

         福音史家、テノール:ジョン・エルウィス

         イエス、バリトン:河野克典 ソプラノ:光野孝子

         メゾソプラノ:永島陽子 バス:?田悠平

         明治学院高等学校ハイグリー部

■CD: MF22312/14(3CD)定価4,000円(税抜)

           録音:サントリーホール・ライヴ(2016年3月20日)

           発売:2016年12月

           ライナーノート

         「私のバッハ遍歴《マタイ受難曲》」:樋口隆一 


 樋口隆一の「マタイ受難曲」を聴く                                  

                                                                                                             大原哲夫

                                         

 昨年亡くなった友人の画家・堀越千秋はカンテの歌い手としてもスペインで絶賛されるほどであったが、彼のアトリエにはマタイのカセットテープがあった。創作に行き詰まると彼は安物のラジカセでマタイを聴いた。武満徹は作曲にとりかかる時、必ずマタイのコラールの一節をピアノで弾いてから譜面に向かった。かようにバッハのマタイ受難曲は特別な曲である。

 創作とは無から有を生むことである。それは己と向かい合うこと、己自身を問い直すことでもある。自然や神、大いなるものと対話することにもなる

 夕日が海に落ちてくるあの素晴らしい光景。松林にざわめく風の音。今まで出会った数多くの風景、生きて今まで知り合った多くの人々。そして、ここにいる私は一体何者のか。広い宇宙に、今ここに存在している私は一体誰なのか。

 ゴーギャンは言った。「私はどこから来て、どこへ行くのか」と

 

 昨年、バッハ・コレギウムの鈴木雅明指揮のマタイ、続けてサントリーホールで樋口隆一指揮のマタイを聴いた。近年のマタイの演奏はドラマツルギーとしてのキリストの受難を劇的に演奏するものが多い。バッハ・コレギウムのマタイの演奏は、聴衆もまたキリストとともにいるイエスの弟子の1人となってしまうほど迫真の表現である。それを悪いとは言わぬが、目の前で演じられる劇的な演奏が素晴らしければ素晴らしいほど、目も耳も舞台に釘付けとなり、マタイを聴きながら、自らを省みる機会が失われるという皮肉な結果になる。

 樋口隆一の指揮するマタイはその対極にあった。久しぶりに心が穏やかに、大いなるもの前の小さな己の存在を気づかせてくれる心休まる演奏だった。特にコラールが素晴らしい。素晴らしいと言うのは、これは技術的にうまいと言うのではない。バッハの無伴奏チェロ曲を終生の友としたチェリスト青木十良はアンサンブルとは一致することではなく、調和することであると言ったが、ここで演奏されたコラールは、アマチュアの合唱団であるから、当然、技術的にはうまくはないのかもしれないが、いたずらに完璧さを求めたものではなく、合唱団のそれぞれの思いが見事にブレンドされ、心地よい調和をたもっていた。 心のこもった歌声だった。エヴァンゲリストは70歳を迎えており、そのことで最盛期の声が失われたなど批評家は言うが、そんなことはない。見事な味を出している。声楽家は最盛期の、声量が豊かな時がいいと言うならば、円熟した歌舞伎役者や古今亭志ん生の落語を若い時がほうがいうのと同じである。音楽にも味が大事なのである。若ければいい、声が出ればいいと言うものではない。

  樋口隆一の指揮も見逃せない。彼は音楽を支配しない。音楽に身を任せる。  合唱団のメンバーは「樋口先生の指揮はよく見ていないと、どこから始まるかわからない」と愛すべき悪口を言うが、フルトヴェングラーの棒だってよく見てないとどこで始まるかわからなかったそうだ。近衛秀麿も同様だったようで、だから近衛秀麿は「ふると面食らう」と言われた。

 そういう意味では樋口隆一の指揮はフルトヴェングラーや近衛秀麿の系列に連なる。音楽を楽譜の縦の線に合わせるのではなく、行く川の流れが常に横にたうたうように、指揮者は音の川の流れに身を任せる。舞台で見ているとよくわかるのだが、縦に刻むのではない。指揮者樋口隆一の体は常に左右にたゆたう。少しも音楽の邪魔をしない。聴衆はマタイと言う大きな川の流れの中の両岸に展開する様々な風景、様々な出来事の中に身を置き、省みて己を振り返る、そんな機会を与えてくれる演奏だった。

 ファイン・N&F 西脇義訓、福井末憲の二人は、サントリーホールで演奏された、この樋口隆一指揮のマタイ受難曲をライブ録音した。そのCDが出来上がり、我家に送られてきたのだが、実に自然に当日の様子を録音している。いたずらの誇張はない。空間に広がる合唱団のメンバー一人ひとりの思いや、ソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱者たちの、真摯な音楽に対する思いまでもマイクを通して拾い上げ、オーケストラのメンバーたちの決して完璧ではないが実に心地の良い響きを捉えている。

 私はマタイ受難曲の新譜が出たと言うと昔から必ずLPレコードのセットを買っていた。数十組はあるだろうか。私のマタイコレクションの中でもこれは折に触れて聴きたくなるマタイである。去年亡くなった堀越千秋にもこのマタイを聴かせたかった。                                                               

                                                                  (2017.1.22)